松山ケンイチ主演の「聖の青春」の村山聖は3月のライオンの二階堂のモデル!

      2016/11/24

現在の将棋界は中学生プロ棋士の誕生やコンピュータ将棋などとの棋戦などで盛り上がりを見せています。また、将棋界のスター羽生善治先生が未だにトップを走り続けていますが、そんな羽生先生と互角以上の戦いを繰り広げてきた棋士がいたことを知っているだろうか。

 

そう「聖の青春」の映画化でスポットライトを浴びることとなった村山聖先生である。

 

映画を見ればどのような方だったのかわかると思いますが、今一度どんな一生を送っていたのか見ていこうとおもいます。



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将棋プロ棋士の村山聖とは

 

名前:村山聖(むらやまさとし)

生年月日:1969年6月15日生(1998年8月8日 29歳1ヶ月没)

プロ入り:1986年11月5日(当時 17歳3ヶ月)

出身:広島県安芸郡府中町

血液型:AB型

 

まず、名前ですが、村山聖と書いて、「むらやまさとし」です。「ひじり」ではありません。おそらくアイドルグループに同じ漢字でひじりと読む方がいたのでその影響で間違えて読む方がいますが、「さとし」です。

 

中学生棋士の藤井聡太先生(14歳2ヶ月)の影響であまり早くなく感じるかもしれませんが、17歳3ヶ月でのプロ入りは早いです。プロ棋士の平均プロ入り年数は約20歳ですので、3歳も若くしてプロ入りしています。

 

 

 

腎臓の難病「ネフローゼ症候群」を患っていた

 

村山聖先生は、腎臓の難病である「ネフローゼ症候群」を患っていました。この病気は、本来血液のろ過や再吸収機能をする腎臓がうまく働かず、尿にたくさんのタンパク質が出て行き、血液中のタンパク質が少なくなり(低タンパク血症)、結果として身体がむくむ病気です。

村山先生が少しふくよかな印象を受けるのは、ただ単に太っているのではなく、病気・治療の影響で全身がむくんでしまっているためです。

 

幼少の頃に、発熱を繰り返したり、疲労感が強いことで、病院に連れて行かれたところ「ネフローゼ症候群」にかかっていることがわかり、そこから治療が開始されます。

安静第一の病気ですので、満足に学校生活を送ることができず、ほとんど病院生活です。そんな中で、父から教えられた将棋の魅力にはまり、将棋に没頭する生活をしています。

 

 

「3月のライオン」の二階堂君のモデル

 

「ハチミツとクローバー」の作者としても有名な羽海野チカさんの作品「3月のライオン」に登場するキャラクター二階堂晴信くんのモデルは村山聖先生です。「3月のライオン」は神木隆之介などの豪華俳優陣での実写映画化が決まっており、今現在アニメ放送もされている人気作です。

この作品を読んでもらえばすぐわかりますが、二階堂くんも腎臓病を患っており、体格や見た目も村山先生にそっくりです。

漫画なので少し脚色されおり、お金持ちでお付きのじいやがいます。将棋にまっすぐな性格は本人もそうでしょうが、主人公への発言は胸が熱くなるものがあるみんなの愛されキャラとして描かれています。



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「怪童」「終盤は村山に聞け」等いわれがたくさん

 

「怪童」と言われるゆえん

 

漫画で村山先生のイメージが固まっているひともいると思いますが、実際の村山先生も愛されキャラです。しかし少し違う部分もあります。

幼少からの闘病生活があったこともあり、「命」を大切に想っていました。そのため、髪の毛や爪といった身体から一生懸命伸びる「命」を刈り取るのをいやがったそうです。そのため、髪の毛も伸びっぱなしの爪も伸びっぱなしという風貌です。想像していただければと思います。

そのなりから将棋が恐ろしく強いという要素も合わさりまわりからは怪童村山と呼ばれるようになります。

 

 

「終盤は村山に聞け」のエピソード

 

また、将棋会館の検討室である対局を検討しているときの出来事です。

将棋会館などの用語がわからない方もおられるとおもうので解説します。将棋会館とはプロ棋士が年がら年中対局をしている野球でいう甲子園球場やドームといったところです。その検討室なので、プロ棋士やプロの卵が集まって、今対局されている将棋についてこの手はどうだ、この手はどうだろうと検討する場です。

内藤先生(野球でいうところの王さん)が「詰んでいるだろう(もう終わっているだろう)」と言われました。他の棋士がこぞって詰み(終わりの筋)を検討している中で、村山先生が「詰みません(まだ終わりません)」といったのです。「詰み(終わり)」を探す雰囲気の中で「詰まない(終わらない)」といえるのは相当な実力と自信がないといえません。その他にも対局での読みの深さや正確さ、終盤での豪腕などを表して、「終盤は村山に聞け」という言葉が残っているのです。

 

 

亡くなった原因は

 

なくなった原因はネフローゼと思っている人もおおいのですが、実はネフローゼではなく膀胱がんで亡くなっています。

 

指し盛りも指し盛りの28歳の時に、癌が発見されます。ネフローゼという難病を患っている中での発見で、村山先生の心中をおもんばかるのは難しいですが、ショックは相当なものだったと思います。

抗がん剤や放射線の治療は、将棋に影響が出ることもそうですが、子どもを残せなくなるという理由で拒否しています。

「命」に対して人一倍想いが強かったので、自分の子を残したいとずっと思っていた様です。

 

一時は回復したものの、転移が見つかり、名人になるという志半ばで1998年29歳逝去されます。

亡くなる寸前にいった言葉が「・・・2七銀」といったことは有名な逸話です。

 

 

羽生先生にも負けるとも劣らぬ天才だった

村山先生は羽生先生にも劣らない程の天才だったといわれています。それを証明するのが下の勝率です。

名前 対局数 勝ち 負け 勝率
村山聖 557戦 356勝 201敗 0.63

 

勝率は0.63となっていますが、実はこの負けには不戦敗が12局も含まれています。この成績は通年してネフローゼで体調が優れない中で対局しており、晩年はがんとの闘病生活の中での対局です。

現実にたらればはありませんが、不戦敗局すべて買っていたとすると、勝率は0.66となります。

これだけでもすごいと感じますが、なかなかわかりづらいと思いますので、対局数が500局を超えており、勝率が0.63以上の棋士を数えてみましたところ全163棋士9名でした。(2016年11月7日現在)これをみてもいかに村山聖先生が強かったのかわかると思います。

ちなみに羽生善治先生は

名前 対局数 勝ち 負け 勝率
羽生善治 1898戦 1360勝 536敗 0.71

 

となっています。羽生先生はまた別格の強さですね(笑)

ちなみに、「東の羽生、西の村山」と称されており、村山VS羽生の対戦成績は6勝7敗と実力が拮抗していました。

 

 

まとめ

 

自分の命を燃やして対局に挑み続けた村山聖先生。

 

村山さんの人生から、命の大切さや生き様を知ることで、「生きる」ことについて考える機会になればと思います。

 

村山聖役に松山ケンイチや羽生善治役に東出昌大と豪華俳優をそろえての映画「聖の青春」の公開は11月19日(土)公開予定です。要チェックですね!



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